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トランスメディア提供アイコン01 挑戦

縁とかタイミングとか、そういうものに導かれてパナマに居ます。

青年海外協力隊でも、作業療法士でもなくなったのですが、せっかくパナマにいるので新たな発見があればもう一度書き留めていこうと思います。


今日は、パナマの新聞記事で発見した話題。
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サーファーですね。

暑い日差し、海、サーフィン。

最高ですね。。


記事の内容はというと、、写真からは想像がつかないもの。。。

この写真のサーファーは、サーフィンを通して募金活動をして、整備されていない教育機関に援助しているのです。

現在、パナマ政府は教育施設を整備するプロジェクトを行っています。そのプロジェクトともコラボしているようです。

支援金を集めるだけではなく、自らも英語教育に携わっているとのこと。

ハード面、ソフト面の両方に働きかけているのです。

↓ここのサイトに入るか、『Waved Charity Surfing』で検索してみてください。

https://www.generosity.com/education-fundraising/helping-kids-from-a-local-school-in-panama

このサーファーは、ドイツ人 30歳。スイスの大学を卒業後、イギリスでコンサルタント会社で働き、その後ブラジル、チリで現在のプロジェクトの構想を練ったようです。

色々なあり方がありますね。

色々な挑戦・信念がありますね。


誰かの為に、自分の為に、挑戦していきたいものです。
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# by power_of_youth82 | 2016-05-15 08:23

トランスメディア提供アイコン01 笑顔 と 真剣な顔

人の笑顔が好きです。   真剣な表情も好きです。

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今 私は作業療法からも国際協力かもら離れメキシコにある日本企業で働いています。

毎日の業務をこなしている間に気がつけば一年以上メキシコで生活しています。

そんなおりパナマで始めたプロジェクトの3周年記念祭に招待してもらい一年8か月ぶりにパナマの地を踏んできました。



無口なパナマの父は「我が息子よ」と抱擁で迎えてくれました。

パナマの母は、いつでも帰ってこれるようにと私が使っていた鍋、箸、水筒などを私が置いていた場所に、そのまま置いていてくれました。

朝目覚めると台所から朝食を準備する音が聞こえてきます。

少し痩せてしまった父と母をみて心配になり、成長したおいっ子をたくましく感じました。

パナマのご飯、汗だくになる気候、鳥の声、激しい雨、朝の涼しさ、水シャワー、くぼんだベッドマット、ボロイバス、全てがシックリくるのです。

パナマは私の第2の故郷になったんだなと心から感じました。



パナマでは2か所で働いていましたが同僚たちが歓迎してくれ、何の違和感もなく溶け込む事が出来ました。

一年8カ月別の場所にいたのが嘘のようで、まるで昨日までもここで働いていて、今日も同じようにここに居る。そんな錯覚さえ感じました。



さて記念祭は大盛況でした。街まで出てこれなかった障がい者やグループを脱退した障がい者家族もそこにいました。成長した障がい児達にも会えました。


後任ボランティアさん達の頑張りでプロジェクトは3周年を迎える事ができたのだと思います。

そのボランティアさん達も今月には帰任します。

この先プロジェクトが続くがどうかはわかりません。

一緒に悪戦苦闘し続けたソーシャルワーカーさんは「どうなるかわからないけど、続けてみる。あの人には、あれをしないと、あの人にはあれが必要でしょ」と色々話してくれました。

障がい者家族も、「時々はめんどくさくなるけど学んだことを続けたい」と言っていしました。


でも、、、、きっとjicaの後押しが無くなればプロジェクトは終わってしまう気がしています。

パナマで働いていいたころ、私は必死でした。日本人がいなくなってもパナマ人だけで一人歩き出来るプロジェクトを作らないとと思っていました。

何らかの結果を残さないと。。。

障がい者の生活の質が向上できる基盤を。

障がい者家族に収入源を。

障がい者をとりまく社会環境に変化を。

いったい、何が残ったでしょう。

こだわり続けた『パナマ人だけでの独り歩き』、それにはつながらなかったかもしれません。目標を追うがばかりに、毎日パナマ人にイライラして、時にはすねたりしました。


でも、後任ボランティアさんが撮影した沢山のプロジェクトの写真をみて思ってたのです。良いプロジェクトに携わったなと。

そこには沢山の笑顔と真剣な表情がありました。

障がい者当事者、その家族、そして同僚たち。みんな笑顔で時を楽しみ、真剣に何かに取り組んでいました。

もう既に亡くなった障がい者の方もいます。人生は一度きり、その人生に一瞬でも笑顔を提供できるプロジェクトであったのなら、存在した意味があります。

同僚たちの真剣に仕事に取り組む表情、その一瞬、一瞬から何を感じ取ってもらえたのなら良い結果です。
パナマ人が働き者ではないのは十二分に承知です。その国、その国には文化があります。働き者になれなんて思いません。ただ真剣に取り組む経験から新たな知を身につけられたのなら、それは変化の一歩です。

そして私は一緒に働いた同僚たちは新たな知を手に入れたことを確信しています。

そして彼らは時おり、その経験を発揮して、障がい者の笑顔をつくっていけるとおもっています。

過去だからと美化はしていません。本当に時おりだと思います。でも、少しずつでいいのです。

それが、あの国の、私の第二の故郷のペースなのですから。

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私が帰任したのち政権が代わり、プロジェクトへの風あたりが厳しくなったと聞きました。

その反面、他の場所の地域に根差したリハビリテーションプロジェクトに力を入れだしているようです。

どんな方法でプロジェクトを進めているのかは気になるところです。

つめの甘いやり方でやっているのだろうな~~なんて思ったりもします。

出来れば私たちのプロジェクトの経験をいかしてほしい。なんて欲も出てきます。

でも、、よしとしようと思います。パイロット的に立ち上げた地域に根差したリハビリテーションの影響をうけて、他の地域でも何かを試みているわけですから。


時間があれば、もっと出来ることがある気がします。でもjicaボランティアは限られた時間の中で活動をします。ゆえにキッカケでしかありません。

キッカケという種を限られた時間のなかで蒔けたのならいいなと思います。



また、何年後かに故郷に戻ろうと思います。

その時は何を感じるでしょうか。


今の私があるのはパナマで出会った人々のおかげです。

その事に感謝して日々を進んで行こうともいます。
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# by power_of_youth82 | 2015-09-15 12:36

トランスメディア提供アイコン01 Gracias-ありがとう. Adiós-さようなら.

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パナマ空港を出発してから数十時間。

昨日3年の任期を終えて無事日本に到着しました。

「パナマの3年間はどうだった?」とか聞かれたら、

迷わず「楽しかった~」の一言が出ます。

言語、生活習慣そして協力隊としての活動、簡単な事ばかりではありませんでした。

でも、「楽しかった~~」と言えるのは、、私の名前をすぐに憶え

「Hiroshi、Hiroshi」と呼んでくれた一人一人のパナマ人、色々な国の人たちのおかげだと思います。

職場の仲間、家族、友人、近所の人そして街中で出会った人たちなどすぐに仲よくなり名前を憶えてくれ、親しく接してくれました。

数えきれないぐらいの出会いをして、その一つ一つに支えられて「楽しかったパナマ生活」が出来上がったのだと思います。

いつかまた帰りますよ、パナマに。

それまで、さようならPanamá。




そして、この3年を経て自分はどう変わったのか?

「世界も自分も変える仕事」がキャッチコピーの協力隊は、自身をどう変えたのか。。

見ている分野や視野は変わったのかな?!

外国人の見方も変わって、世界は近くなった気がする。

日本に帰ってきて一番気になったのは「すいません、申し訳ございません」を連呼する人々。

こんな事が耳につくなんて、、、謝らない文化の中で、謝るべき事を選別するようにしていたからね。

自分の中で何かが変わったのかもしれませんが、これはもっと先でないとわからないかな。

きっと一週間後には日本にすっかり慣れるはずだし。

意外と根本は何も変わってないような気もしているし。。。。


多数派の中で少数派で居続けること。

多数派と上手く共存し合い少数派の芯を持ち続けること、これが自分の協力隊の目標でした。

日本人の良さを揺るがさずに、パナマ人と共存する。

自分という芯をもって、人と同じものを見つめる。

きっと達成できたのではないかなと思っています。

だから自分の根本は変わっていない。

でも、肩の力がぬけて、荒削りの良さを知り、幸せに生きるコツみたいなものをパナマの文化や協力隊生活の時間から教わった気がします。


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3年前にアメリカを経由しパナマに向かう自分
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そして今回の経由。 マンハッタンは寒すぎて、肺の中まで冷気を感じて、気持ちが悪くなる程でした。

変わったものは色落ちしたGパンの色ぐらい?!
3年で自分も少しは良い具合に色落ちしてきたかな。


さてさて、3年半ぐらいでしょうか、このブログを見続けてくださった皆さん。

そして、何度か覗いてくださった皆さん。

コメントしてくださった皆さん。

皆さんの存在があり、活動を頑張れたこと、考えを見直せた場面が沢山ありました。

本当にありがとうございました。

感謝しています。



この辺でいったんこのブログはお終いにして、次なる道に歩みを進めていきたいと思います。

一歩踏み出すことを大切にして、過去を現在そして未来につなげて、色々な人々と新たな世界に共同注視していけたらと思います。

Gracias por todo.   Adiós a todos y todas.    ¡Hasta la vista!

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# by power_of_youth82 | 2014-01-11 12:52

トランスメディア提供アイコン01 任地最後の日

明けましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いします。

さて、とうとう明日任地を後にし首都に旅立つ事になりました。

首都に数日滞在してから日本に向かいます。

今日は朝からバタバタと荷造りをして部屋の掃除をして、、
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プロジェクトの引き継ぎに来た後輩隊次さん達がカレーを作ってくれて、最後の時を一緒に過ごしました。

たった2カ月だったけど、個々に 色々なシン (芯、真、心)をもった彼らと過ごした時間は、一人で居た時間とは一味違う学びの時間でした。

おかげで、張り詰め続けていた気持ちをこの二カ月は少し緩めて過ごせ、パナマの最期を楽しむ事も出来ました。

バトンタッチしたというか。。。

今まで作り上げてきたそれを、、、沢山沢山変えていって新たないいカタチを作っていってもらえたらと思います。

今後のプロジェクトの歩みが楽しみです。



そして、夕方からは家族で教会に行きました。

何度も聞いて、聞きなれた祈りの言葉もこれで最後なのかな~~と少しジ~~ンとしました。


その後家族内で送別会をしてくれました。

ゼリー好きの自分の為に、家族がゼリーを作っておいてくれて、

ケーキとアイスと一緒に食べました。

お父さんから暖かい言葉ももらいました。


協力隊に来る前は、ホームスティなんて耐えられるかな??と思っていたし、、実際に色々と生活の違いで自由気ままにと行かない部分もあったけど、

それが人と居ることだし、そんな些細なことは乗り越えて、、いい繋がりになっていくのだな~~と思いました。

何だか暖かい場所にいました。
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何とも食べ過ぎた今日。。。お腹も気持ちも一杯です。
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# by power_of_youth82 | 2014-01-03 12:58

トランスメディア提供アイコン01 ボンティアが主役になる日

昨日は職場で送別会をしてもらいました。
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プロジェクトのメンバーがバタバタと準備をしてくれ、任地の市長をはじめ議員、そして前任地の職員さんや村の人々など総勢150人以上の人達が来てくれました。
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サプライズでホームスティ先の家族も来てくれ歌を演奏してくれました。
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そして、この日の為に省庁が牛を一頭用意してくれ、さばいてくれたそうです。早朝の朝5時から準備が開始されました。
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今まではボランティアが人前で主役にならないようにと思って活動をやってきましたが、最後の最後にこんな大きな会の主役をさせてもらうことになりました。

来てくれた村の人達、苦楽を共に感じた職員さん達、そして家族、、この人達と今までの様に時を共にすることは無くなるんだな~~と実感したら、、

めったに泣く事はないのに、素直に寂しいという感情が湧き、泣いてしまいました。

ホームスティ先の子どもから、「子どもの様に泣いているのを 見たよ~~」といわれました。。。ハハハ 31の歳大人がね。

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そして一緒に涙してくれた職員さんや村の人々、、、この人達の存在が自分の活動を想いを支えてくれていたのですよね。

沢山のプレゼントもいただきました。
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その中の一つに、ある村のお母さんがシワシワの包装紙に大きなリボンがついた小さな箱がありました。

感情を表に出さない人で、、、最初に出会ったころはテッキリ自分達の介入を迷惑がっているものだと思った程でした。でも、怖じ気ずくことはせず何度も訪問し、その息子に支援が届くように働きかけました、

そんなお母さんがくれた小さな箱の中身は、小さく畳んだシワシワの5ドルでした。

たった500円です。でも、この5ドルは、自分には勿体な過ぎるものです。

小さな小さな箱は重たすぎるプレセントで。。

もらったもの全てが自分にはもったいな過ぎるものばかりでした。

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Jicaは言います、「ボランティアは2年間で現地の人々と仲良くなれたら、それは成果だと」。

しかし、プロとしてこの地に来て、ボランティアとして人々を支えるのであれば、「仲良くなった」なんてものは成果のうちには入らないと思って活動してきました。

どうにか良い実りが出る種をきちんとこの地に撒く事が成果であると思ってきましたし、今もそう思っています。

実際は自分が撒いた種がどう実っていくかはわかりませんが、出来る事はやってきたように思います。


でも、会に来てくれた二人の若い障がい者と別れる時、いったい自分は何が出来ただろう?!と思ってしまいました。

一人は片目が見えない障がいを持っています。奥地に住んでいて、色々な事情で高校にいけず、もう20歳を過ぎています。リサイクルで作る財布作りを教えると一番上手に出来るようになった人です。 ついこの間、酔っ払った彼に道で会いました。彼が「勉強したいんだ、、学校に行けないと、先は無い」と何度も言ってきました。

もう一人は、同様に奥地に住んでいる若者で耳が聞こえず教育を受けて来なかった為、字を書く事も出来ない人です。一度ブログにも書きましたが、拒む彼を強引に連れ出し、字を書く練習をはじめてもらいました。自身の名前は書けるようになったものの、その後のフォローは出来ていませんでした。


この二人と、送別会が終わって別れの時に強く抱き合いました。二人は帰り際に何度もこっちを振り返ってくれました。
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自分が作業療法士としてこの二人に何かできたか??!というと、、きっと何も出来ていません。

国際協力者として彼らの未来に繋がる事を出来たかというと、こちらも疑問です。

出来た事は、仲良くなれた事、、、仲良くなれたというか、こっちの気持ちが届いていたのかな?!と感じられる別れであったという事。

もしかしたら、外国人と時間を共有し仲良くなり何かを感じてもらう、そんな成果とはみなせない成果しか、自分には出来なかったのではないかなと思いました。


送別会の次の日の朝、、この先プロジェクトでこんな事をしたらどうかとか、あの二人に何をしたらいいだろうか、つい考えようとしている自分に気づき、、、

もう終わったんだよな~~、もう自分に出来る事は無いんだよな~~ と

何とも言えない気持ちになりました。

自分の活動に満足出来たところもありますが、、、そうでない所も沢山あります。

満足出来なかった事があるから、、想いをかたちにして届けられなかった事があるから、、次に繋げていけるのだと思います。

最後に皆がくれた幸せすぎる一日と、自分には勿体な過ぎるプレゼントや想いのこもった言葉や涙をしっかりと受け止めて次へと繋げていかなければと思いました。
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さてさて、それでは残りのパナマ生活は帰国に向けて準備開始です。。
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# by power_of_youth82 | 2013-12-28 10:45