心を痛める心。
毎日が慌ただしく過ぎています。
明日はコレして、明後日はコレして、週末にはコノ仕事を片付けて、ただただ毎日の活動をクリアしていく日々が続いています。
現地の人の事で心を痛めたり、現地の人の為に怒りを感じたり、誰かの為に心を動かすこと出来ていますか??
パナマに来て一年以上が過ぎ、あらゆる事に慣れました。
実際に現地に住んで、皆の生活を見ると、、、皆あたり前のように今を生きています。困っている人、滞っている現状、全てがあたり前で、、、、、、、
現地の人にとってのあたり前の生活からは、困り感も悲痛な感情も、そんなには伝わってこないのです。
いちいち、人は困っていません。困った困ったと言いながら生活はしていません。今を受け入れて生活しています。
いちいち、今より良い暮らしに憧れて、悲観したりもしていません。
これって、あたり前です。
困っている人がいる、協力を必要としている人がいると妄想していた以前が間違っていました。
そんな、現状の中にいて、何に向かって毎日のコマを進めているのか時々わからなくなります。
見ているもの全てがあたり前になるのです。
今日、遠くの村から生まれつき両方の眼球がない2歳の女の子がやって来ました。
この子を診ると約束して3カ月が過ぎていました。
この子は、月に一度村から何時間もかけ、トラックの荷台の様な所で揺られてやって来ます。
街に来る時は、ろくに食事もできません。
この子を診れるチャンスは月に一回。でも、学校のイベントなどでそのチャンスは奪われ今日が来たのです。
担任の先生から言われていた約束の時間は8時半。
その子が来たのは10時。
自分は他の患者の予約で一杯でした。その患者もまた、最近始まったプロジェクトを自分が手伝いをしているせいで、一カ月以上リハビリを提供できていませんでした。
どうにか時間を作ろうとしていると。。。
女の子のお母さんが、少し強い口調で「村から来てるのに朝早く着くなんて無理よ。私の子を先に見て、遅くなるとスコールで村への帰り道が大変なことになるわ」と言うのです。
女の子のお母さんの主張はごもっとも。
でも、正規の予約で待っている他の子もいる。
結局、村から来た女の子は一ヶ月後に診る事にしました。
ホントに遠くから、大変な思いをして高い交通費を払ってきています。。
でも、自分には何もできませんでした。
こんな現状は、ここではあたり前。
そして、一年経過した自分もこんな現状を心のどこかで仕方ないと思っているのです。
どうすべきだったか、、、、、、、、、今後何が出来るか考えていますが、、、、、、
良いアイディアは浮かびません。
カウンターパートと、次来た時は、お互いに工夫して時間がある方が診ようと言う事にしましたが、実際どうなることか・・・
苦労して連れてきた母の気持ちを汲む事もできず。。。。。
こうして、村の子は取り残されていく、、、、、母親のモチベーションも下がっていく、、、
何より、両眼球の無い世界で生活している彼女が村から出てくる時の苦労や空腹や不安な気持ち。。。。リハビリをすれば広がるであろう彼女の世界。。。。そう言う事に対して何も出来ない。
毎日コマを進めているだけでは、何も出来ない。
この事に、自分が勝手に心を痛めても、彼女の腹の足しにもならない。
でも、それどころか、この現状がどこかあたり前と感じる自分がいる。
どうしたら良いのか??????
こんな現状が度々ある。
体の変形が進んでいる子の母親が「ウチの子はいつリハビリを始めてくれるの?」という。
「ウチの子を今診て」「ウチの子が先よ」 「今日診てくれないの?」と言われる。
どの子も大切な時期、大切な今がある。
時間がもっとあればと思う。誰かに時間をわけてほしい。
本当は、支援の行き届かない村の子の支援を考えなければいけないのに、それが出来なかった今日。
久しぶりに少し心を痛め、少しへこんだ。
何にも出来ていない・・・・・・・
色々、整理して考え直さなければな。。。。。
心を痛めるような現状が、あたり前に沢山あり、それが現地の人のあたり前になっている。やはりココは途上国。
今日、来たような子が適切な医療を受ける日が来るには、あらゆる分野からの発展が必要なのだと思う。
小さな事まで見つめて、心を動かし、そして体を動かそう。
写真は違う村の子のお母さん。
暑い中、歩けない娘を担いでバス停の長い距離を歩きます
明日はコレして、明後日はコレして、週末にはコノ仕事を片付けて、ただただ毎日の活動をクリアしていく日々が続いています。
現地の人の事で心を痛めたり、現地の人の為に怒りを感じたり、誰かの為に心を動かすこと出来ていますか??
パナマに来て一年以上が過ぎ、あらゆる事に慣れました。
実際に現地に住んで、皆の生活を見ると、、、皆あたり前のように今を生きています。困っている人、滞っている現状、全てがあたり前で、、、、、、、
現地の人にとってのあたり前の生活からは、困り感も悲痛な感情も、そんなには伝わってこないのです。
いちいち、人は困っていません。困った困ったと言いながら生活はしていません。今を受け入れて生活しています。
いちいち、今より良い暮らしに憧れて、悲観したりもしていません。
これって、あたり前です。
困っている人がいる、協力を必要としている人がいると妄想していた以前が間違っていました。
そんな、現状の中にいて、何に向かって毎日のコマを進めているのか時々わからなくなります。
見ているもの全てがあたり前になるのです。
今日、遠くの村から生まれつき両方の眼球がない2歳の女の子がやって来ました。
この子を診ると約束して3カ月が過ぎていました。
この子は、月に一度村から何時間もかけ、トラックの荷台の様な所で揺られてやって来ます。
街に来る時は、ろくに食事もできません。
この子を診れるチャンスは月に一回。でも、学校のイベントなどでそのチャンスは奪われ今日が来たのです。
担任の先生から言われていた約束の時間は8時半。
その子が来たのは10時。
自分は他の患者の予約で一杯でした。その患者もまた、最近始まったプロジェクトを自分が手伝いをしているせいで、一カ月以上リハビリを提供できていませんでした。
どうにか時間を作ろうとしていると。。。
女の子のお母さんが、少し強い口調で「村から来てるのに朝早く着くなんて無理よ。私の子を先に見て、遅くなるとスコールで村への帰り道が大変なことになるわ」と言うのです。
女の子のお母さんの主張はごもっとも。
でも、正規の予約で待っている他の子もいる。
結局、村から来た女の子は一ヶ月後に診る事にしました。
ホントに遠くから、大変な思いをして高い交通費を払ってきています。。
でも、自分には何もできませんでした。
こんな現状は、ここではあたり前。
そして、一年経過した自分もこんな現状を心のどこかで仕方ないと思っているのです。
どうすべきだったか、、、、、、、、、今後何が出来るか考えていますが、、、、、、
良いアイディアは浮かびません。
カウンターパートと、次来た時は、お互いに工夫して時間がある方が診ようと言う事にしましたが、実際どうなることか・・・
苦労して連れてきた母の気持ちを汲む事もできず。。。。。
こうして、村の子は取り残されていく、、、、、母親のモチベーションも下がっていく、、、
何より、両眼球の無い世界で生活している彼女が村から出てくる時の苦労や空腹や不安な気持ち。。。。リハビリをすれば広がるであろう彼女の世界。。。。そう言う事に対して何も出来ない。
毎日コマを進めているだけでは、何も出来ない。
この事に、自分が勝手に心を痛めても、彼女の腹の足しにもならない。
でも、それどころか、この現状がどこかあたり前と感じる自分がいる。
どうしたら良いのか??????
こんな現状が度々ある。
体の変形が進んでいる子の母親が「ウチの子はいつリハビリを始めてくれるの?」という。
「ウチの子を今診て」「ウチの子が先よ」 「今日診てくれないの?」と言われる。
どの子も大切な時期、大切な今がある。
時間がもっとあればと思う。誰かに時間をわけてほしい。
本当は、支援の行き届かない村の子の支援を考えなければいけないのに、それが出来なかった今日。
久しぶりに少し心を痛め、少しへこんだ。
何にも出来ていない・・・・・・・
色々、整理して考え直さなければな。。。。。
心を痛めるような現状が、あたり前に沢山あり、それが現地の人のあたり前になっている。やはりココは途上国。
今日、来たような子が適切な医療を受ける日が来るには、あらゆる分野からの発展が必要なのだと思う。
小さな事まで見つめて、心を動かし、そして体を動かそう。
写真は違う村の子のお母さん。
暑い中、歩けない娘を担いでバス停の長い距離を歩きます
by power_of_youth82 | 2012-05-08 06:10