最終報告会&送別会
とうとう この日がやってきました。
各省庁の前での最終報告会そして隊員間の歓送迎会、、、間に来年度のプロジェクト会議も挟みました。
なんて盛り沢山な日。
この日のための準備で、ストレスと肩こりと何とも言えない感じで、朝パナマシティをジョギングしていてフラフラして倒れそうになった。。。。ハハハハハ。
さてさて、プロジェクト会議は省庁の上の人たちとjica所長、調整員および現場職員、ボランティアで行いました。
何ともね、、、話がまとまらなくて、進行しなくて、何も決まらない会でした。そして3月に再度行うことに。
でもね、、、いいんですよ。会議までの準備を現場職員の考えで初めてやったのですから。進まない物事の中に、進んでいる些細なことを見つけ認めること、その大切さを3年間で学んだのだと思います。
さてさて、これで3度目となる活動報告会は相変わらず緊張し原稿丸読み。いや2,3文はアドリブで話しましたが、、、これも些細な進歩として認めてよいものか。。。
3年間で行ってきたことを15分にまとめることは不可能で。ほんの一部を発表しました。
当初用意したスライドが長すぎて、一枚一枚スライドを消去しながら、まとめることが出来ないくらい色々なことをやってきたのだと自分を労うことにしました。
まぁそれでも、まだまだプロジェクトの進行は危ういところもあるし、自分が出来たこと些細なことです。
でも、今日の発表までの活動に悔いなし。
発表には、省庁トップ、副トップ、医療リハ部トップ、理学療法士部長、作業療法士部長が来てくださいました。
自慢のようになりますが、一ボランティアの一発表にこのメンバーがそろう事、それだけプロジェクトとjica協力に目を向けてもらえている事、凄い事で有難い事なのだと思います。
自分の力ではなく、色々な人たちの努力があり、この日がこんな形で迎えられたのだという事は誰よりも自分がわかっています。本当に、有難いことです。
そして、これでスペイン語の報告会は人生??最後となりました。
とっても言いたかったことは、[プロジェクトや障がい者の生活を進歩させる資源はお金や人員数ではなく、現地職員の努力や気持ちなのだという事。そういう気持ちがあるメンバーだったから、ここまで進んできたという事。]なんだか、あまちゃんの言う、キレイ事の様ですが、あまちゃんなボランティアという立場だから堂々とこの事を言わせてもらいました。
最後に3年間のボランティア活動の終了証明書をいただきました。
が、、、期間が2年間になっている・・・・・・・・・・・一番苦労した最初の一年は私の人生の空白期間となってしまった様です。最後の最後までパナマ感たっぷりのゆるさです。
そして、夜は送別会がありました。
着任当初に出席した送別会で、去る隊員が「何もできなかった。」とか「今思うともっと何か出来たのでは」という挨拶をしているのを聞いて、
[自分の出来ることは出来る範囲でやった!!!]と言えるように送別会の日まで頑張ろうと思ったことが、、、、、遥か、遥か遠い過去のように感じます。
目標が達成できたかどうかは、もっと先の自分が評価するとして、、、、、この日までこの気持ちを持ち続けたことは良かったかな。。と思っています。
調整員に送別会で。「あなたの様なボランティアははじめてでした」と言われたことが、密かに何よりものご褒美となった日でした。
こんなにも密度の濃い一日に思っていたより感情の動きが無かったのは、長くパナマに居過ぎたせいでしょうか。それとも、年をとったせいでしょうか。
着実に着実、パナマとの別れがそして日本が近づいています。
各省庁の前での最終報告会そして隊員間の歓送迎会、、、間に来年度のプロジェクト会議も挟みました。
なんて盛り沢山な日。
この日のための準備で、ストレスと肩こりと何とも言えない感じで、朝パナマシティをジョギングしていてフラフラして倒れそうになった。。。。ハハハハハ。
さてさて、プロジェクト会議は省庁の上の人たちとjica所長、調整員および現場職員、ボランティアで行いました。
何ともね、、、話がまとまらなくて、進行しなくて、何も決まらない会でした。そして3月に再度行うことに。
でもね、、、いいんですよ。会議までの準備を現場職員の考えで初めてやったのですから。進まない物事の中に、進んでいる些細なことを見つけ認めること、その大切さを3年間で学んだのだと思います。
さてさて、これで3度目となる活動報告会は相変わらず緊張し原稿丸読み。いや2,3文はアドリブで話しましたが、、、これも些細な進歩として認めてよいものか。。。
3年間で行ってきたことを15分にまとめることは不可能で。ほんの一部を発表しました。
当初用意したスライドが長すぎて、一枚一枚スライドを消去しながら、まとめることが出来ないくらい色々なことをやってきたのだと自分を労うことにしました。
まぁそれでも、まだまだプロジェクトの進行は危ういところもあるし、自分が出来たこと些細なことです。
でも、今日の発表までの活動に悔いなし。
発表には、省庁トップ、副トップ、医療リハ部トップ、理学療法士部長、作業療法士部長が来てくださいました。
自慢のようになりますが、一ボランティアの一発表にこのメンバーがそろう事、それだけプロジェクトとjica協力に目を向けてもらえている事、凄い事で有難い事なのだと思います。
自分の力ではなく、色々な人たちの努力があり、この日がこんな形で迎えられたのだという事は誰よりも自分がわかっています。本当に、有難いことです。
そして、これでスペイン語の報告会は人生??最後となりました。
とっても言いたかったことは、[プロジェクトや障がい者の生活を進歩させる資源はお金や人員数ではなく、現地職員の努力や気持ちなのだという事。そういう気持ちがあるメンバーだったから、ここまで進んできたという事。]なんだか、あまちゃんの言う、キレイ事の様ですが、あまちゃんなボランティアという立場だから堂々とこの事を言わせてもらいました。
最後に3年間のボランティア活動の終了証明書をいただきました。
が、、、期間が2年間になっている・・・・・・・・・・・一番苦労した最初の一年は私の人生の空白期間となってしまった様です。最後の最後までパナマ感たっぷりのゆるさです。
そして、夜は送別会がありました。
着任当初に出席した送別会で、去る隊員が「何もできなかった。」とか「今思うともっと何か出来たのでは」という挨拶をしているのを聞いて、
[自分の出来ることは出来る範囲でやった!!!]と言えるように送別会の日まで頑張ろうと思ったことが、、、、、遥か、遥か遠い過去のように感じます。
目標が達成できたかどうかは、もっと先の自分が評価するとして、、、、、この日までこの気持ちを持ち続けたことは良かったかな。。と思っています。
調整員に送別会で。「あなたの様なボランティアははじめてでした」と言われたことが、密かに何よりものご褒美となった日でした。
こんなにも密度の濃い一日に思っていたより感情の動きが無かったのは、長くパナマに居過ぎたせいでしょうか。それとも、年をとったせいでしょうか。
着実に着実、パナマとの別れがそして日本が近づいています。
# by POWER_OF_YOUTH82 | 2013-12-12 04:25